そんな実が既に実在してしまってるのなら、犠牲を見過ごすことのほうが罪だ

蟲師 9話(重い実)の祭主
テレビつけたらデスノートがやっていた、ちなみに俺はキラ派。
キラが捕まり犯罪率が7割減から元に戻ったとしたら、100件の殺人事件の内70人は死なずに済んでいたと考えたら、被害者に近しい者たちはキラを捕まえた警察を是と出来るだろうか?
殺人を止めるのは正しいことに間違いはない、だが上記を考えればキラを止めることは殺人を犯すことに等しい。
キラは殺人犯だ、キラを肯定するということは殺人を肯定するということだが、犯罪抑止という結果が出てしまった時点で、否定することもまた殺人の肯定だというのが俺の結論になってしまった。
犯罪者を犠牲にするか、まだ起きていないが確実に増えるであろう犯罪者の被害者を犠牲にするかということ、それならどちらを犠牲にするかは決まっている。
ならずの実とは少し条件が違うが、デスノートもまた実在してしまってるなら犠牲を見過ごすほうが罪だと、そういう考え方も出来るなと思った訳さ。
ライトもノートがなければ普通に・・・極めて優秀な警察官にでもなって検挙率をあげていただろう、逆にLにノートが来ていたらどうかと考えてみたが、作中のLなら使わないかなと、ただもっと若い時期の探偵始めましたみたいな時期にノートが来ていたらどうだったかなとね。
今日のひとこと
実際デスノートを手に入れたら、キラのように思うものと、キラを真似てみよう思うものと、こっそり私欲で使うものと、使わないものくらいかな、俺だったら世界に喧嘩売るのもありだな犯罪抑止ではなく楽しそうだからで結果的に犯罪抑止につながるなら俺的にはOK、まあリスクを考えたらこっそり使うほうだろうけどな。